工場のロボットと聞くと、決められた動きを黙々と繰り返す姿が浮かぶかもしれません。ところが今、そのロボットがカメラで周囲を見て、物の状態を判断し、動き方まで選び始めています。画面の中にいたAIが、いよいよ腕や車輪を持って現場へ出てきたわけです。
ただし、日本中で万能ヒューマノイドが働いているわけではありません。現在先行しているのは、工場の組み立て、倉庫のピッキング、店舗の商品補充といった、範囲を絞った仕事です。私はここに、日本らしいフィジカルAIの育ち方が見えると考えています。大きな夢を一足飛びに追うより、止められない現場で一つずつ信頼を積み上げる。少し地味に見えても、産業を変える力はむしろこちらにあるのかもしれません。
日本のフィジカルAIはどこまで来ているのでしょうか

まず押さえておきたいのは、フィジカルAIが人型ロボットだけを指す言葉ではないことです。産業技術総合研究所は、身体を持ち、実世界の中で行動するAIと説明しています。産業用ロボット、自動運転車、工場の機械も含まれます。
従来の自動化との違いは「動きを選び直せること」
従来のロボットは、決められた位置へ正確に動くことが得意でした。これは今も大切な能力です。一方のフィジカルAIは、箱の向きや部品の位置が変わっても、カメラやセンサーから状況を読み取り、次の動作を調整します。「見て、考えて、動く」が一つにつながる点が大きな違いです。
そのためには、視覚、言語、行動に加えて、物を握ったときの力覚や触覚も扱わなければなりません。現実の世界は、机の上の実験ほど行儀よく整ってはいません。照明が変わり、荷物が傾き、人も近くを通ります。ロボットにとって現場は、毎日が少しずつ違う応用問題なのです。
国産の共通基盤づくりも動き始めました
2026年6月、経済産業省とNEDOは、AIロボットやフィジカルAIを見据えたマルチモーダル基盤モデルの開発事業を始めました。Noetraと産総研が採択され、2030年度までの研究開発が予定されています。産総研の発表によると、言語、画像、音声からロボット、AIエージェントまで五つの領域を扱います。
Noetraにはソニーグループ、ソフトバンク、NEC、Hondaが中核企業として参加し、産総研やPreferred Networksなどからも技術者が加わります。これは完成した万能ロボットの発表ではありません。さまざまな機械が利用できる共通の「頭脳」を国内で育てようとする取り組みです。日本は個別の自動化では実績を持つ一方、企業をまたいで学習成果を生かす基盤は、これから本格的につくる段階にあります。
工場ではFANUCと安川電機が知能を実機へつないでいます

日本のフィジカルAIを最も身近に感じられる場所は、やはり工場でしょう。ロボット本体や制御装置、安全設備がすでにあり、AIを加えた効果を作業時間や品質で確かめやすいからです。ここで起きている変化は、教えた動きを繰り返すロボットから、対象を見ながら動きを組み立てるロボットへの移行です。
FANUCは人の言葉をロボットの仕事へ変える
FANUCはGoogleと協業し、Gemini Enterpriseを使った産業用ロボットのAIエージェントシステムを構築しました。2026年5月の公式発表では、AIエージェントが人の指示を理解し、物体を認識して、複数のロボットを動かす実演が紹介されています。
これを支えているのが、ROSやPython、高速通信インターフェースへの対応です。外部のAIとロボット制御をつなぎやすくすることで、現場ごとのシステムを組み立てやすくしています。同社はフィジカルAI関連で1,000台以上のロボットを出荷したと発表しています。ただし、1,000台の万能AIロボットが自律的に働いている、という意味ではありません。既存の産業用ロボットへ新しい認識や指示の仕組みを接続する動きが、商用の現場へ広がっていると見るのがよいでしょう。
安川電機は認識から実行までを一台に収める
安川電機の「MOTOMAN NEXT」は、マシンビジョン、力覚、AI、経路計画、ロボット制御を扱う自律制御ユニットを搭載しています。周囲の変化を捉え、その場で動作を計画できるため、形や位置が揃わない対象にも対応しやすくなります。
安川電機の技術報告では、細胞の状態を画像で判断して動きを変えるバイオ実験、箱詰め、透明で形が一定しない物のピッキングが示されています。ロボットが初日から熟練者になるわけではありません。それでも、対象を観察しながら次の一手を選べるようになれば、これまで人に頼っていた作業を少しずつ任せられるようになります。
物流では「腕」と「足」が別々に賢くなっています

倉庫の仕事を眺めると、商品をつかんで積み替える「腕」の仕事と、棚の間を移動する「足」の仕事があります。Mujinは荷役と設備の統合に強く、ラピュタロボティクスは移動と人との協働に強みを持ちます。同じフィジカルAIでも、解いている問題はかなり違います。
Mujinはデジタルツインから動作を組み立てる
MujinOSは、ロボット、カメラ、搬送装置、AGVなどを一つのシステムとして制御するプラットフォームです。設備と対象物をデジタルツイン上で捉え、周囲との衝突を避けながら、箱をどこでつかみ、どう動かすかを計画します。
MujinOSの製品情報から見えるのは、AIモデルだけでなく、実際の機械を止めずに動かす統合力の重要性です。倉庫では箱の形や積まれ方が毎回同じとは限りません。こうしたばらつきをシステム側で吸収できれば、人が軌道を細かく教える負担を減らせます。導入前の検証については、フィジカルAIとデジタルツインの導入効果でも掘り下げています。
ラピュタロボティクスは人の歩く距離を減らす
ラピュタロボティクスのPA-AMRは、倉庫内を自律移動し、作業者へ取るべき商品と経路を案内しながら荷物を運びます。人は倉庫の端から端まで商品を探し回る代わりに、近くへ来たロボットへ商品を載せます。派手な曲芸はしませんが、毎日の歩行を減らす効果は現場にとって小さくありません。
PA-AMRの公式情報では、経路提案や複数台の協調が中核機能として紹介されています。倉庫では、一台のロボットが賢いだけでは足りません。注文の優先順位、人の位置、ほかのロボットの動きを見ながら、全体が渋滞しないように動く必要があります。フィジカルAIは、物を器用につかむ技術だけではないのです。
店舗・医療・街では人との距離が一気に近くなります

工場の安全柵を出て、ロボットが店舗や病院へ入ると、難しさは一段上がります。近くには買い物客や患者がいて、商品の配置も人の動線も変わります。ここではロボット本体の性能だけでなく、困ったときに人へ引き継げる仕組みや、建物の情報システムとの連携が欠かせません。
テレイグジスタンスは実店舗の経験を学習へ戻す
テレイグジスタンスは、コンビニの飲料補充などでロボットを運用し、遠隔操作も組み合わせながら実店舗のデータを蓄積してきました。2026年6月には、VLAでヒューマノイドを制御し、コンビニのカウンターで袋詰めを行うデモをPhysical AI Fellowshipの成果として公開しています。
ここは現在と未来を分けて見る必要があります。飲料補充ロボットは実店舗で運用されていますが、袋詰めヒューマノイドはデモの段階です。同社も速度、動きの滑らかさ、未知の状況への対応を課題として挙げています。一方、遠隔操作で集めた実データをVLAや世界モデルの学習へ戻し、再び実機で試す循環はすでに形になっています。完全自律を待つのではなく、人の支援を残したまま知能を育てる方法です。
川崎重工は病院全体をつなぐ構想を進める
川崎重工は2026年7月、富士通と医療分野のフィジカルAIについて事業検討を始めました。電子カルテなどの情報、ロボット、院内設備をつなぎ、来院から診察、治療、手術、術後ケアまでを支える「病院ワンストップソリューション」を目指しています。
公式発表は協業と構想の開始を示したもので、完成システムが病院へ導入済みという発表ではありません。それでも、病院ではロボット単体を賢くするだけでは足りないことがよく分かります。患者の状態、スタッフの配置、機器の空き、安全規則を共有できて初めて、適切な順番で支援できるからです。
トヨタは街そのものをAIの検証環境にする
トヨタとWoven by Toyotaは、Woven Cityで「AI Vision Engine」を展開しています。2026年4月の公式発表によると、映像、モビリティ、利用者からの入力などを組み合わせ、現実世界の状態や危険の兆候を捉え、接続されたシステムの協調を支える視覚言語モデルです。UCCとの概念実証も進められています。
Woven Cityは一台のロボット製品ではありません。人、車両、信号、建物を含む環境側が状況を理解し、機械の安全な動きを助ける検証の場です。ロボットだけが周囲を必死に見るのではなく、街の側も情報を渡してくれる。そんな協力関係がつくれれば、フィジカルAIの活動範囲は広がりそうです。
5年後と10年後、日本企業の強みはどこに現れるのでしょうか

各社を並べてみると、日本の強みは一台の万能ロボットを先に完成させることより、AIを既存の機械や仕事へつなぐ部分にありそうです。認識、判断、制御、運用データのどこを担っているかを見ると、企業ごとの違いも見えやすくなります。
| 企業・組織 | 主な技術 | できること | 公表された段階 |
|---|---|---|---|
| FANUC | 産業用ロボット、AIエージェント、ROS連携 | 人の指示と画像認識から複数ロボットを動かす | 実演、関連ロボット出荷 |
| 安川電機 | マシンビジョン、力覚、経路計画 | 対象の状態に合わせて動作を計画する | 製品、適用事例 |
| Mujin | デジタルツイン、動作生成、統合制御 | 多品種の荷役と周辺設備を一体運用する | 商用プラットフォーム |
| ラピュタロボティクス | 自律移動、群制御、経路最適化 | 倉庫の歩行と搬送を減らす | 商用製品 |
| テレイグジスタンス | 遠隔操作、VLA、世界モデル | 店舗作業のデータを次の学習へ戻す | 飲料補充を運用、ヒューマノイドは開発中 |
| 川崎重工 | ロボティクス、医療情報・設備連携 | 病院内の業務とロボットをつなぐ | 事業検討 |
| トヨタ/WbyT | 視覚言語モデル、街のデータ基盤 | 人・モビリティ・インフラの協調を支える | 概念実証 |
これらの企業に共通する強みは、次の四つです。
- 長く使われてきたロボット本体と精密なモーション制御
- 画像、力、設備状態など、公開データには少ない現場の情報
- ロボット、搬送機器、業務システムを止めずにつなぐ統合力
- 遠隔支援や人の承認を残しながら自律範囲を広げる運用設計
もちろん、強みだけではありません。企業ごとにデータ形式や制御環境が分かれれば、一つの現場で学んだことを別の機械へ移しにくくなります。事故の影響が大きい分野なので、停止機構、サイバーセキュリティ、評価方法、責任分界も必要です。国産基盤モデルや共通の評価環境が、この壁をどこまで低くできるかが重要になります。
5年後は「一工程だけ賢い」自律セルが増えそうです
5年後に現実味があるのは、万能ヒューマノイドが工場や店舗の仕事をすべて引き受ける姿ではないでしょう。工場の一工程、倉庫の一画、店舗のバックヤードなど、範囲を限定した自律セルが増え、例外が起きたときだけ人が遠隔で助ける形が先に広がると私は見ています。
ロボット基盤モデルが共通の能力を持ち、各現場の少量データで調整できるようになれば、多品種少量の仕事にも自動化を広げやすくなります。その条件となる実機データとシミュレーションの関係は、ロボット基盤モデルが現場データ不足を超える方法で詳しく紹介しています。
10年後を分けるのは失敗から戻れる仕組みです
10年後まで自律化が広がるかどうかは、華やかなデモの成功回数より、失敗したときの振る舞いで決まりそうです。対象物や照明が変わったときに異常を検知できるか。安全に停止できるか。人へ状況を説明して引き継げるか。そして、その経験を次の学習へ戻せるか。ここが整わなければ、技術が進んでも重要な仕事は任せにくいままです。
反対に、共通基盤が育たず、現場ごとの調整費用も下がらなければ、フィジカルAIは大企業の一部工程だけにとどまる可能性があります。未来は、ロボットの賢さだけで自動的にやって来るわけではありません。導入後も使い続けられる費用、安全性、保守体制がそろって初めて、技術が日常へ入ってきます。
次に工場や店舗のロボットを見る機会があれば、見た目の未来感よりも、「何を見て、どこまで自分で判断し、困ったときに誰へ助けを求めるのか」に注目してみてください。その小さな違いの中に、日本のフィジカルAIが5年後、10年後にどこまで広がるかを読む手がかりがあります。


